場末の二階

 ようやくにして、場末の二階を間借りすることが出来た。そしてさっそく『三八九』を出すことになった、当面の問題は日々の米塩だったから(ここでもまた、井師、緑平老、元寛、馬酔木、寥平の諸兄に対して感謝の念を新らしくする)。 明けて六年、一月二月三月と調子よく万事運ぶようであったが、結局はよくなかった。内外から破綻した。ただに私自身が傷ついたばかりでなく、私の周囲の人々をも傷つけるような破目になった。 事の具体的記述は避けよう、過去の不愉快を繰り返して味わいたくないから。 私はまた旅に出るより外はなかった。

 何処へ行く、東の方へ行こう。何処まで行く、其中庵のあるところまで。

 六年が暮れて七年の正月には、私は緑平居でお屠蘇を頂戴していた。そしてボタ山を眺めながら話し合っていた。 ここで、其中庵の第二石が置かれた。今暫らく行乞の旅を続けているうちに、造庵の方法を講じてあげるとのことであった。 私は身も心も軽く草鞋を穿いた。あの桜の老樹の青葉若葉を心に描きながら坂を下りて行った。 福岡へ、唐津へ、長崎へ、それから島原へ、佐賀へ、神湊へ、八幡へ、戸幡へ、小倉へ、門司へ、そしておもいでふかい海峡を渡った。 徳山、小郡、――この小郡に庵居するようになろうとは、私も樹明兄も共に予期していなかった。因縁所生、物は在るところのものに成る。

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